【200万】休みなく死ぬほど働き、借金を借金で返す生活から脱出

mikegi / Pixabay

 

当サイトに寄せられた、借金生活体験談をご紹介します。

今回は、若くして多額の借金を抱えたものの死ぬほど働き、借金を完済した方の体験談です。

 

⇒【ヤバイ】お金が全くない!マジで困った時にお金を稼ぐ16の方法!

⇒リモートワーク求人多数!新しい働き方を提案する転職サイト【LIBZ】

 

休みなく死ぬほど働き、なんとか借金完済しました

当時の借金額 200万円~500万円未満

私は約20年前に家庭の事情で余儀なく高校を中退して社会人となり、それから初めての借金生活が始まりました。

父親の他界で母親は朝昼晩と働きましたが、それでも生活していく為に借金が膨れ上がり生活が厳しい状態になっていきました。

 

そのため私は、まず自分の高校で母親が支出した高校の入学金や授業料の返済と言う事で50万を、当時テレビCMで有名だった某金融会社にて、融資を受け母親に返済という形で援助をしました。

その50万はすぐ母親の借金の返済で消えていきました。

 

本当は母親も高校を止めて欲しくはなかったと言っていましたが、理想と現実ではそうはいきませんでした。

 

借金の自転車操業に!売れるものは何でも売った

私には2歳下の弟がいます。

弟には高校に行ってもらいたいという思いで高校の入学資金の為、いくらか融資を受けました。

 

もうそのころの私はすでに、いろいろな金融会社での融資枠上限の状態になっていました。

 

あたり前です。

いくら生活の為といっても、信用のない若造にそこまで貸す訳もありません。

 

金融会社からは要注意人物として、リストに上がってたのかもしれません。

そして今度は町金融へと。

 

母親の借金返済の為に、また違う所で融資を受けという正に自転車操業でした。

今でも生活の為に家にあった家財等が、日に日になくなっていくのを鮮明に覚えています。

父親が生きてた頃に、趣味でコレクションをしていた骨董品らしきものや先祖から伝わる掛け軸等など。

そして、仕事で使用していた工具機械類などが質屋に流れていきました。

 

当たり前の生活ができない!何で俺だけこんな生活?

食事に関しても母親が仕事で常にいない状態でしたので、夕食は米を炊いておかずに関しては、近くのスーパーで安売りしていた惣菜を買ってきて食べていたのを覚えています。

安売りをしているものなので、当然メニューは1週間程度は同じになりました。言い訳になりますね。

自炊すればもっと安くできたのに、と今はそう思えるんですけど。

 

生活に関してはやはり大黒柱が抜けると脆いものです。

誰もが想像すらできずに、世間でいうあたり前の事があたり前でなくなるのだから。

 

だから、私は借金をして家族をお金という形で援助をしてきた。

家族だから当たり前の事をしてきた。

借金で免許取得!そして車選びに失敗

そして私自身も、自動車免許取得に必要だった金額当時約35万を、また別の某金融会社にて融資を受けました。

この35万円は私の自己投資での借金です。

そして、私にとって初めての免許になりました。

 

また、自動車の免許を取得すると自動車が欲しくなるものです。

自動車に関しても安い中古車で、購入資金20万円の融資を受け購入しました。

 

安い車でしたので、ちょっと走ったら故障ばかりして修理代が購入資金より上回ったのを覚えています。

このことに関しては、いい勉強になりました安物買いの銭失いでした。

 

死ぬほど働いてなんとか返済。借金は二度とゴメンです

解決方法に関しては常識的ですが、借りたものは返すということでした。

ブラック企業の理念に近いものがあります。

 

働いて働いて休みなく働いて、借金の返済をしながら、尚且つある程度潤うほどお金を稼いでというサイクルでした。

それで倒れては本末転倒だといわれるぐらい必死でしたし、それぐらいじゃないと当然借りたものが返せないとも思っていました。

全額返済もかなり時間がかかりました。

 

金額にして、計200万円ぐらいでしたが当時の10代で若輩な私にとっては今の2000万円ぐらいの価値として感じられます。

 

 

ある程度元金が減ったらまた借りての繰り返しだったので、実際の金額はまだ大きいのかも知れませんが。

私にとって借金は、私利私欲ではなく家族が生きる為に必要でした。

そして当時の私は、今の嫁との同棲生活を始めており、自分達の生活も少しの余裕もない程でした。

 

その中での援助は私にとって肉体的にも精神的にも堪えてました。

今思えば紆余曲折を経て現在に至り、そして彼女による鼓舞によって、乗り切ることができたんだと実感があります。

今では現在母親は長年の疲労で病に倒れ、国から援助をもらってひっそりと生活しています。

 

私達も普通にマイカーローンや住宅ローンを銀行から融資して貰える程になり、志操堅固な意識を失わなければ何事も解決できる事が実感できました。

テキストのコピーはできません。